はじめに
RI主催で毎年開催される国際大会は、RIの役員を選出する場であるだけではなく、世界のロータリアンが集い、新たな出会いを通して友情の輪を広げ、また仲間との再会を通して心の絆を強め、ロータリアンとしての自覚と誇り、そして連帯、結束を深める場でもあり、単なる一大イベントではなく、ロータリーの発展、RIの運営にとって重要な役割を担うものです。
ホスト国、ホスト地区の役割は重大で、開催の指名を受けることは大変名誉なことであり、地区にとっては招致活動期間も含めると10年近い年月を要する大行事です。日本では過去1961年・第52回(東京)、1978年・第69回(東京)、2004年・第95回(大阪)の3回開催されています。当地区が中心となり、関西4地区が総力を挙げて取り組んだ第95回国際大会の全容をご覧ください。
2004年関西国際大会
1999年RIスタッフがインテックス大阪等を視察のため来阪、国内委員会は国際大会の予行演習を目的に、大阪ドームで関西4地区合同地区大会を計画、J.レイシーRI会長を招き開催されました。実行委員会事務局を設置し近藤事務総長、井上財務長が指名され国際大会での諸問題を探りました。
2001年に開催時のRI会長がJ.マジィアベ氏に決まり、RIの国際大会委員長に千元RI理事が指名され、これを機に推進委員会を解散、運営担当の実行委員会が組織されることなり、開催地の2660地区より3役が選出されて別添の組織で実施することとなりました。会場に大阪ドーム、国際会議場、リーガロイヤルホテルが正式に決まり、2002年に大和銀行久太郎町ビルに事務局を開設、RI理事会ではRI予算案や大会ロゴマークが承認、実行のための業務が本格化しました。
さて、運営ですがRIには『国際大会の運営要綱』があり、これによる厳格なる運営を主張するRI側とホスト委員会の協議の連続に悩まされる事となります。例えば、世界各地からの参加者は日本の関西で、開催されることに当然期待をします。しかし、開催地ならではの特色を出すプログラムは否定されます。国際大会は毎年開催されるためRI本部には国際大会の専門部署があり、彼らは常に国際大会に関わっていてプライドもあるのでしょう。でも我々は毎年同じならシカゴで開催地を固定したらどうでしょうと反論し、開会式での知事の挨拶削除など閉会式を含め一方的なプログラムの提示には近藤実行委員長はホストの立場を断固として主張され、千大会委員長のサポートのもと、マジアベRI会長、フタ事務総長と幾度となく行われた協議の結果、RIの歩み寄りもあり、ある程度は参加された皆様に日本、関西、大阪を感じて頂けるものとなりました。
もう一つの協議の連続は費用の分担です。RIとホストの分担は原則決まっております。例えば指定ホテルと会場へのバスはRIが担当し負担します。しかし当時の大阪市内にはバスの乗り入れ制限があり、渋滞懸念は深刻な問題でした。RI側は日本人登録者の公共機関の利用を提案、ホストは日本では初めてのJRと民間が共同して彦根以西姫路までの間の電車バスを全て乗り放題のパスを企画しました。RIの登録料には大半を占める日本人のバス代もあります。当然相当分をRIに要求します。しかしパスの作成期限が来ても返事がなく、遂に全額ホスト負担を決意し発注しましたが、決算時にRIが負担しました。警備でも多くの議論となり、全ての局面でホストが全額仕切れる地区大会での違いを痛感しました。
お陰で予備費1億円を含め144百万円程の黒字となり、節約をして将来とも記念に残るものとの思いが叶い1億円をロータリー日本財団の設立基金、23百万円を記念品として全地区の地区旗製作費としてガバナー会へ、20百万円を愛知万博にお渡ししました。大阪で開催された2004年関西国際大会の成功は、全国のロータリアンの資金拠出への同意と確実に実行を頂いたことに尽きます。この時の45,381人の登録者数は今まだ最多の記録として残っております。千大会委員長、近藤実行委員長以下全員でこの大会を無事締めた、あの閉会式はそれまでの苦労をすべて流し、素晴らしい感動と貴重な体験を我々に残してくれました。
記事:パストガバナー/実行委員会副委員長 井上暎夫(千里RC)