100th Anniversary

3. 新たな門出(1949年~59年)

日本のロータリー再生と結束

1951年、大阪RC生みの親である星野行規氏が第60地区ガバナーに就任し、翌52年4月に大阪中之島公会堂にて第60地区地区大会が開催された。日本の全クラブが参加する地区大会としてはこれが最後となったが、日本のロータリーの再生を祝福すると共に、将来への日本のロータリーの結束を確認し大会は成功裏に閉会した。

ロータリーの全国展開

同年7月には日本全体66クラブを東日本の60区、西日本の61区に2分割し大阪RCは61区に属することとなる。2地区に分割されても情報を共有化し連帯を保つための機関誌として「ロータリーの友」が発行されることになった。新たな社会基盤、体制の整備により全国で新たなクラブが続々と誕生し、クラブの増加に伴い1955年には4地区、1957年には5地区と急速に地区の数も増加することとなる。

大阪地区の新たな歴史:新たなクラブの誕生

1952年には大阪北RC、大阪南RCが誕生し地区は新たな歴史を刻むことになった。これ以後、1954年には池田RC、高槻RC、1957年には大阪西RC、東大阪RC、大阪東RC、1958年には吹田RC、1959年には豊中RC、茨木RCと新たなクラブが誕生した。地区基盤の確立と拡大が急速に進展し、現2660地区地域内のクラブ数は11クラブとなった。

青少年奉仕の先駆け

クラブ活動基盤の確立と共に新たな奉仕活動への取り組みも始まった。1953年には大阪RCがホストとなりニコニコキャンプの前身であるロータリー少年キャンプが開催され、地区に移管されるまで、まだ豊かでなかった社会の青少年育成に大きな役割を果たした。