100th Anniversary

6. 奉仕の進化(1982年~94年)

2660地区の誕生

1982年、大阪府、和歌山県全域を含む世界でも有数の巨大地区であった266地区が大阪府北部の266地区と大阪府南部および和歌山県の264地区に分割され、52クラブからなる現在の2660地区の前身である266地区が誕生した。新生266地区の初代ガバナーは八尾RCの戸田孝氏であった。
1982年は奇しくも大分県中津RCの向笠廣次氏が日本人として2番目のRI会長に就任した年であり、戸田氏は日本のロータリーをリードする地区のガバナーとして、向笠RI会長を支え新生266地区を率先垂範して率いる決意を新たにした。地区内全てのロータリアンにこう呼びかけている「皆さんはロータリーの理想の実現に最もふさわしい人であり、地域の職業を代表する大きな影響力を持ったチャンピオンです。そのチャンピオンが集まって組織されたロータリークラブは素晴らしいエネルギーに溢れた個性豊かな集まりです。自己を磨き蓄えたエネルギーを価値ある行動に燃焼させてゆかねばなりません」。

身体障がい児童白浜招待

社会奉仕活動も活発に続けられた。1984~1989年の6年間にわたり実施された身体障がい児童の白浜招待旅行は特筆すべきものである。
地区内全クラブの協力のもと、障がい児童120名をロータリアン100名、ボランティア50名が付添い白浜に1泊2日で招待し、白浜アドベンチャーワールドを見学し宿舎ではゲーム等で楽しい時間を過ごしてもらった。マスコミ、ロータリーの友にも取り上げられ地区主催社会奉仕活動の看板行事であった。

女性ロータリアン誕生

1989年、RIは女性ロータリアンの入会を認め、1990年には当地区で初めての女性ロータリアンが誕生した。吹田江坂RCチャーターメンバーの栢本淑子氏である。日本では17人目であった。続いて同じ年に守口RCに2名が入会し当地区でも女性会員に門戸が開かれたが、女性の社会進出が進まない日本社会の趨勢に倣い女性会員の増加速度は芳しくなかった。

国際花と緑の博覧会(通称:花博)への協賛

1990年4月1日から9月30日までの183日間の会期で花博が大阪鶴見緑地で開催され、2313万人の来場者で賑わい大成功のうちに閉幕した。「21世紀に向けて潤いのある豊かな社会の創造を目指す」との大会テーマはロータリーの理念と一致し、開催地元地区として当地区は成功に向けて地区を挙げて積極的に協力した。全国各地区からの寄金は1億900万円に達し、会場中央のCTM(リニア周遊モノレール)街の駅に面した街の駅広場(通称ロータリー広場)にシマサルスベリの並木を寄贈した他、RI特別補助金も活用して低開発7か国からの園芸技師の旅費滞在費を補助し、目の不自由な人向けの展示パンフレット5千部を寄贈した。また、会場で迷惑駐車追放キャンペーンイベントを開催する等ロータリーは博覧会の成功に大いに貢献した。バブル景気の末期であり、経済もロータリーもまだ右肩上がりの時代の最後の大イベントであった。

青少年奉仕活動の推進

青少年活動も活発に行われた。ローターアクトは全国に先駆けて献血活動に取り組み、以後毎年恒例の行事となっている。また、青少年交換プログラムを体験したOB、OGがこれから海外に出る日本人交換学生、来日している海外からの交換生をサポートするための新たな組織REXが誕生した。更には、在阪米山奨学生OBによる同窓会が発足し、ロータリーに恩返しするための新たな役割を担う事となった。

財団学友中田厚仁君カンボジアで死亡

悲しいニュースもあった。1989年度のロータリー財団奨学生として米国に留学した財団学友で、大阪大学を卒業後国連ボランティアに採用された中田厚仁君が1993年4月3日カンボジアで選挙監視任務中に凶弾に倒れ殉職した。25年の短い生涯を一途に駆け抜けた若者の死は多くのメディアにも取り上げられた。父親の中田武仁氏は厚仁君の遺志を継ぎ国連ボランティアを支援するための「中田厚仁記念基金」を設立し、当地区内だけはなく全国のロータリアンから多くの善意の寄付金が寄せられた。