ロータリアンの善意のリレーが とある青年のウィーン国立音楽大学留学に導いた奇跡の物語
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時期2011年-2013年
記入者松本進也PG (大阪北RC)
2011年3月11日、東日本大震災が発生、被災地の福島県に吉田昴城君というピアノの才能あふれる高校生がおりました。彼の自宅は福島第一原発から僅か8kmの距離であり、震災は彼から多くを奪い、生活は一変しましたが、彼は気丈にも耐え、復興の一途を辿る東北の地の生活を続けて
いました。
そして、2011年8月、RIJYEC(日本青少年交換委員会)の青少年プログラムを福島県浪江RCが適用し、相馬、南相馬両市の高校生21名を、オーストリアに外務省後援事業として3週間の短期派遣を実施しました。吉田君もその中の1人に選出され、渡航に至り、現地にて非常に高い評価を受けました。
日本に帰国後、幸運にもオーストリア大使公邸での演奏を披露する機会があり、感銘を受けた駐日大使に留学を薦められたのです。震災という非情なる事態に直面した彼が紡ぐその音色は、聴く人の心に沁み入る 物悲しくも透明感に溢れたものであったことでしょう。そして、オーストリア現地RCの協力により、留学の運びとなったのです。また、彼は浪江RCが創設した「ロータリー東日本大震災被災青少年夢サポート基金」の最初の対象者となりました。彼は我らロータリアンが一丸となって支援するに相応しいと認められた証でした。
時が流れ、2012年12月19日、当クラブ(大阪北)で、創立60周年記念式典が行われ、田中作次RI会長がご臨席予定でした。その4日前に当地区の井上暎夫PGから、田中作次RI会長と吉田君を面会させてほしいとの要請が当クラブ(大阪北)会長にございました。この依頼はオーストリアRCから、当地区のRIJYEC担当ロータリアン経由で井上PGに伝わったものでした。そして、60周年記念事業実行委員長を拝命していた私が吉田君との調整を行い、彼とお母様を記念式典にご招待しました。
吉田君は当日の記念例会にて素晴らしい演奏を披露、高校生とは思えぬ高い技巧と芸術性に会員一同魅了されました。次いで夜の祝賀会では田中RI会長との面談が実現し、我らにとっても嬉しくもあり、忘れ得ぬ一日となりました。
2013年1月6日、吉田君は渡航しアントンブルックナー音楽大学受験に向けての勉強を開始、同年2月にはウィーンにてロータリー会員、及び偶然にも田中作次RI会長との再会も実現しました。
同年5月には現地にて個人リサイタルを開催、8月には一時帰国し、8月7日には当クラブ(大阪北)例会にて演奏を披露され、また8月24日には第2530地区主催の国際奉仕セミナーにて演奏を行いました。彼の人生はロータリーとの関わりで飛躍の一途を辿り、様々な人との出会いがあり、それは彼にとって何物にも代え難い至宝であったことでしょう。それは我々も同様であります。
そして、2013年9月、アントンブルックナー音楽大学に飛び級で合格され、また、同大学教授に現地でも難関のウィーン国立音楽大学の受験を薦められ、素晴らしいことに2015年6月16日、見事合格しました。世界でも最高峰の音楽大学の一つで世界中から100名が受験、18名が合格という狭き門でありました。なんという快挙でしょうか。震災を経験し、しかも異国の地で心細い思いをする彼にきっと現地ロータリアンによるあたたかい支援があったに相違ありません。
通常なら埋もれるであろう才能がロータリアンにより発掘され、一人の東北在住の高校生がウィーン留学の機会を得ました。これからも彼はロータリーと深く関わり、全世界の例会や式典で素晴らしい演奏を披露することで、そのご恩返しをすることでしょう。ロータリアンは吉田君に学びの環境を提供し、吉田君は我々に演奏という形で私たちのserviceを彼からのserviceとして還元することでしょう。日本語の一方的な意味の「奉仕」ではなく、相互的な意味のある”service”の実践に他ならず、これこそ、私のガバナー方針である、”The Ideal of service”の具現化であります。
私もこの奇跡の物語に僭越ながら登場の機会を得、そしてストーリーテラーとしてこのエピソードを皆様に広く知って頂ける機会を頂けたことを有難く思う次第です。
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