「私たちにできること」から生まれた友情と絆
時期2011年8月から現在まで
記入者山口尚志 (くずはRC)
2011年3月の東日本大震災。私どもくずはRCは、北大阪商工会議所と宮城県気仙沼商工会議所との交流のご縁から気仙沼RC、並びに気仙沼南RCを通じて「復興支援」がスタートしました。震災から5カ月後の夏、気仙沼南RCの例会にお邪魔し、支援物資並びに支援金を贈呈しました。気仙沼市街地の震災の生々しい爪痕を観て、そして心痛められた人々からのお話を聴くことができました。その最初の「復興支援」の小さな想いは「私たちにできること」でした。被災された方々に生活の移動に有効な自転車とLED懐中電灯、支援金の贈呈を行いました。被災地の現状、「陸に打ち上げられた大きなタンカー」「がれきの山々」「焼け焦げた船舶」それは、被災の凄まじさを肌で感じることとなり大きな衝撃を受けた気仙沼復興支援活動でした。
その後は、毎年気仙沼の地を訪問し支援金を贈呈させていただき、併せて一年一年、復興へ向けての街の姿を観ることができました。そう、「継続した復興支援」をしようという私どものクラブの想いでありました。もちろん、ロータリークラブのみならず世界中から「復興支援」が拡がったことはご承知の通りです。そして気仙沼の地を訪れて数年が経ったとき、気仙沼RCの方から「ロータリーはすごい」という感動の声を聴くこととなりました。それぞれのクラブがいろんな支援を気仙沼の地に奉仕されたことへの感謝の声でした。震災から数年が経ち、そのころマスコミは原発ばかりを取り上げ、現地の復興へ向けた動きは「取り上げの終息」のように日本中が勘違いしていること、気仙沼の皆さんの「東北が忘れられている」という生の声を聴きおよびました。そのころ私たちがみた限りでは、「復興はまだまだ」という認識でした。被災地の方々は、復興に向けて努力され、その大変さは、現地の方々だけが判る大変さです。そして、同じロータリアンとして、私どもの支援に対しては、大きな感謝の念をお持ちでした。一言ひとことの気仙沼RC、気仙沼南RCの方のお言葉は、私たちの胸を強く動かしました。「私たちにできること」からスタートし、毎年の復興支援という継続した訪問の中で、少しずつその意味合いが変化し、「私たちにできること」は、支援ということと併せて復興の様子や被災された方々の想いをそれぞれの地域に持ち帰り、生の声を伝えることも重要であると気付きました。
その後も気仙沼RC、気仙沼南RCへの「復興支援」と、何より「交流」が継続し、三クラブの創立周年記念式典に、来訪をいただき式典にご光彩をお添えいただきました。そして私たちも気仙沼・気仙沼南両RCの「創立周年記念式典」にご招待を受けることとなりました。三クラブの交流と友好がより深まり、今現在も継続していることが、私どものクラブにとって有効なことであると認識しています。
2020年、私どもくずはRCから、友好クラブとしての位置づけを提案いたしました。末永いお付き合い、そしてそれぞれの奉仕活動を補完し合いましょうということを趣旨とし、気仙沼・気仙沼南両RC、そして私どもくずはRCは、「友好クラブ」として 同年11月、三クラブ調印の運びとなりました。震災復興から十年、いろんな言葉に感動し、いろんなことを学び、いろんな方々との出会いは、「友情と絆」を齎せ、そして「奉仕の原点」を浮き彫りにしてくれました。これからも三クラブの絆をより深めたいと思います。