| ロータリーの誕生 1905年~ |
■1905年 シカゴロータリークラブ誕生
・親睦と物質的相互扶助
・シカゴ・クラブ定款 1906 年1 月制定 1. 本クラブ会員の事業上の利益の増大
2. 通常社交クラブに付随する親睦およびその他の特に必要と思われる事項の推進
1. The promotion of the business interests of its members.
2. The promotion of good fellowship and other desiderata ordinarily incident to social clubs.
⇒1業種1会員制、定期的例会の開催
・1905年4名で始まり、1909年には300名になる
■ドナルド・カーター、ロータリーの勧誘を断る
・自分たちの利益だけを追求するエゴイズムの団体には永続性はない。そのような団体に魅力を感じない
■1906年12月、シカゴRCの定款に3つ目の目的が加わる
3. シカゴ市の最大の利益を推進し、シカゴ市民としての誇りと忠誠心を市民の間に広める
3. The advancement of the best interests of Chicago and the spreading of the spirit of civic pride and loyalty among its citizens
⇒ 奉仕概念が芽生える
■シカゴに公衆トイレの設置(1909年、2年の歳月をかけ完成。ロータリー最初の社会奉仕活動)
・ 百貨店組合や酒造組合等からの反発。・市当局から2万ドルの補助金を受ける
■親睦派と奉仕はの対立。 ポール・シェルドン等の奉仕派とハリー・ラグルス等の親睦派との対立
奉仕の100年
2022
1936
1935
1934
1928
1926
1923
1922
旧
奉仕の100年
1922
1923
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1934
1935
1936
2022

1922年、日本で2番目となる大阪RCが誕生した。2660地区最初のRCである。1920年日本で最初の東京RCが誕生して2年後の事である。
創立間もない大阪RCの重要な役割は翌1923年に突然訪れた。関東大震災の支援活動である。機能不全に陥った東京RCに代わり、世界中のRCからの支援の申し込みを仲介した。創立間もない大阪RCのメンバーは、超我の奉仕の精神に基づいた人道的奉仕活動、そして国際ロータリーとは何たるかを知る貴重な機会となった。
その後1928年に日本、満州、朝鮮、樺太、千島による70区が誕生し地区の原型が誕生したが、日本の軍国主義台頭による海外領土をベースとしたものであり、必ずしも国際的に祝福されたものではなかった。
そんな中、1935年2月にはポールハリス氏、ロバートヒルRI会長夫妻がマニラで開催された第5回太平洋地域大会出席の途中に日本を訪問した。天候不良で船の到着が大幅に遅れ、大阪滞在はわずか1日という強行日程であったが、温かいもてなしと対話を通して、暗い世の中に負けずロータリー精神を貫こうとする日本のロータリアンの心がポールハリス氏に伝わったことは想像に難くない。
1936年には例会で日本初のニコニコ箱が設置された。当初は例会への遅刻やバッジの付け忘れなどの罰金箱を発展させたもので、その後全国のクラブで実施されるようになった。