100th Anniversary

大阪のロータリー100周年に寄せて ~私とロータリー~

『ロータリーと私』(大阪御堂筋本町:岩津陽介)

2022年08月01日 (月)

1953年3月大阪市天王寺区で産声を上げる。そして1975年大学を卒業。ここまでは何の変哲も無い生活を送ってきました。
ところが1975年大阪西南ローターアクトクラブにチャーターメンバーとして入会すると共に私の人生は一変したのです。

当時、スポンサークラブである大阪西南RCの皆さんには「ロータリーにノーは無い」と教え込まれていました。
1977年入会間もない私は何も解らないまま、又、ノーとも言えないまま大阪南ゾーン代理という地区役員に選出され、1978-79年度には地区代表を務める羽目になってしまいました。(今では感謝しています)
ただその時に地区ローターアクト委員長を務めておられた大阪南RCのメンバーで今宮戎神社の宮司さんであった 故 津江孝夫氏に逢えたのは私にとっての最大の幸運でした。私の人生の師として父親以上の存在でした。

1979年6月3日に開催された地区年次大会は、今でも親友の谷 敏弘君のアイデアで今までに開催したことの無い船上での地区大会をしようと、反対されるのを覚悟で大阪西南RCに相談に行ったところ、「それは面白い!是非実現しよう」と賛成して頂きました。そして「失敗を恐れずに計画を進めよう」とも言って頂きロータリークラブの懐の深さを思わせて頂きました。
当然この計画は大変なことが沢山待ち受けていましたが、連日連夜のメンバー達の努力の甲斐あって関西汽船の「アイボリー丸」の予約までこぎ着けました。
そして当日天保山埠頭の岸壁で開会式を開催しているところにアイボリー丸が接岸。鳥肌が立つ思いでした。

船上での地区大会は大好評の元無事終了。そしてこの年の9月に同じローターアクトのメンバーとも結婚することが出来ました。

当時のローターアクトクラブの年齢制限は28歳だったので1981年にローターアクトクラブを卒業。ようやく仕事に打ち込めると思っていた矢先、津江委員長から連絡がありローターアクトクラブの「ハンドブック」を作るから岩津君が責任者となって作って欲しいとの要望。1年半をかけて「ハンドブック」の原案を作成。未だに何回かの改訂を経て現役で使用されています。

そしてその次は「せっかくローターアクトを経験して沢山の友人を得たのだから其の儘で別れてしまうのはもったいない」ということで地区のローターアクトOB会の設立に奔走。当時の委員長であった津江様と中田様の2字をとって「つたの会」を発足。未だに年に2回(5月と11月)総会を開いています。
毎回25名~30名のOB達が集まり「ワイワイ・ガヤガヤ」やっています。

そして1992年大阪御堂筋RCのチャーターメンバーとして入会、ロータリークラブの会長も2度経験させて頂き、1992-93年度山中文和年度には地区ローターアクト委員、その後ローターアクト委員長、又、地区の危機管理委員会の委員長も歴任させて頂きました。2008-09年横山守雄ガバナー年度には、ガバナー補佐も務めさせて頂きました。

このように私の人生にはロータリーは欠かせない存在であり、大切な仲間達との友好の場であります。
また、今年度には宮里ガバナーエレクトがお迎えになる「大阪のロータリー100年史」の100周年記念誌委員会に参加させて頂き、自分自身も改めてロータリーの事を勉強する良い機会を与えて頂いたと感謝しています。

感謝・感謝の言葉しか有りませんが今後ともよろしくお願いいたします。