国際ロータリー2004年国際大会(関西)ー記録誌ー より 『国際大会をふりかえって』
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記入者実行委員長 パストガバナー 近藤雅臣
国際大会をふりかえって
RI2004 年国際大会(関西)が史上最高の登録者数のもと42,000 人というこれも史上最大規模の開会式に始まり、これほどの規模にも拘わらず事故もなく無事終了できたことを日本のロータリアンとして誇りに思っている。この大会がこれほどまでに完全に仕上がるためには千玄室大会委員長のご指導のもと、実行委員会委員の皆様はじめホスト4 地区ロータリアンのご支援はもとより、数年にわたり本大会成功に向けての醵金にご賛同頂いた全国ロータリアンの温かいご協力の賜物と深く感謝している。
本大会開催に漕ぎ着けるまでを振り返ってみて、この種の記録紙はきれいごととして記述されるのが常であるがRI事務当局との間に幾多の予期せぬ難題が横たわっていたし、これらの葛藤を打破するために費やした無駄なエネルギー或いは憤懣やるかたなき思いなどを赤裸々に記録に留めるべきであり、真実の記録として敢えて記述しておきたいと思う。国際大会は国際ロータリーのもとにすべて統率されるべきものであることはいうまでもないし、それを遵守して成功させるためにRI 事務総長以下事務局員が総力を挙げて働かなくてはならないことはよく理解できるところである。
しかし、一方では、会長のもとで大会を実質的に成功させるために全力を挙げて奉仕するのが開催国の実行委員会の任務であることも理解されねばならないことである。私ども実行委員会は、数十年振りに日本で、しかも関西で初めて開催される大会を、そして、ロータリーの1 世紀を締めくくる記念的な大会を千玄室委員長のもとで国際的な感覚の中にも日本的な情緒を込めた文化の薫りの高いものにし、未曾有の成功を納めることができたらと考えるのも当然のことではないだろうか。そして、その成功をRI ならびにマジィアベ会長にプレゼントできればと考えたのである。
2002 年にフタ事務総長が最初に大会開催についての下見に来日し、当初予定していた大会主会場を大阪南港の会場から大阪ドーム、大阪国際会議場、リーガロイヤルホテル大阪に変更することを提案したことから接触が始まった。この件に関してはその後理事会決定を経て円滑に変更できたのでほっとしたものである。その後数回のフタ事務総長ほか関係事務員の来日で次第に詳細な打ち合わせの中で意見の食い違いがでてくるようになった。まず、登録手続きについてであるが、以前京都で開催されたRI 主催の会議でRI 本部職員による登録手続きが不手際で大きな混乱が生じたことがあり、今回のような大規模な会議では日本側にすべて任せた方が円滑に進行するはずであると小林哲夫事務総長補佐が提案した
が、登録はRI の主管であり絶対に譲れないとつっぱねられた。その後、再三にわたって提案し最後に私が大会委員会で発言したとき、フタ事務総長は感情をあらわにして(フラストレーションという言葉を使ったが)何回もいうなとも発言し、あとで香港も大会開催を望んでるなどとつぶやいたことを憶えている。登録料は全額RI に入ることになることは知っているが、こちらはそれをどうこうするとはいってないのにと皆で笑ったし、一年後なら大会返上といえるのにとくやしさを話し合ったものである。2003 年春にマジィアベ会長エレクト夫妻が来阪され、ロゴマークの選定が始まったが、桜を好まれることなどがわかりまず公募することにした。結局は大阪北梅田RC の山田氏のデザインが良いということになり決定しかけたが、RI のほうからデザイナーを無視した変更が入り、双方での意見が調整できず、決着がつくまで苦労したのを憶えている。このロゴマークに関しては、次回のデンマークのロゴマーク決定でも問題が起こり大変であったそうで、次期実行委員長が直接私に訴えておられた。
その後起こった問題は、開会式、閉会式を含む本会議のプログラム作成と進行の問題である。これらすべてはRI 会長の指示のもと事務総長が統括するものであり勝手にはさせないということであった。しかし、われわれは、本会議はもとより特に開会式、閉会式は国際性を持たせることは当然ではあるが開催国の文化を反映できるものでなくてはならないし、今回は3 万数千の日本人ロータリアンが参加するものであり日本人にも納得して頂けるものでないと千会長に対して申し訳ないと思うと提議した。そして、プログラム編成ならびに進行業者の選定に際し、日本側としては大会準備委員会当時から決定されていた(株)ジェイコムを推薦した。その後しばらくこの件に関して交渉はなかったが、ブリスベンの大会の際突然マジィアベ会長エレクトほかフタ事務総長などが集まりその席で千委員長にある業者を候補者として紹介したいと連絡があった。突然で今更何事であるかと千委員長は憤っておられたが私に同道するようにといわれ(私は呼ばれていなかった)、その会議に同席した。実は前日、本会議において日本での大会を千委員長が紹介される番組のリハーサルが委員長ぬきで行われたのであるが、そのバックスクリーンに大正時代の当時カフェーの女給と称された女性がエプロンがけで数人客を呼び込んでいるような映像が写されていたのである。
しかも、中国風のバックグラウンドミュージックと共にである。千委員長が登壇されるときそれが写され、その前でスピーチされるという段取りであった。私はあまりにも不見識な取り合わせであるので絶対に変更すべきであると大論戦を演じた。フタ事務総長は最終的に変更を承諾して、別の画面に変わった。このようなことがあったので、この会談において同じ業者がやるのであれば信用できないといって反対したし、千委員長も厳しい言葉で反論された。面倒なことは重なるもので、同じ時期、青少年交換の近藤真道委員長がホテルに飛び込んできて、大阪では青少年関係の会議は中止になったとフタ事務総長が宣言したと大変興奮して私に告げ、どうする気かと私に詰め寄ったのを憶えている。無理もないことである。私もてっきりフタ事務総長が決めたものと誤解し、早速彼に抗議したが、理事会が決めたことだ、シカゴではやるかもしれないといったので「大阪だけやらんとは何事か、これだけ一生懸命皆で協力しているのにわれわれのプライドを傷つけるのか、日本人はお金は出すが口は出さないと思ったら大間違いである、私は言いたいことは言う」と、考えてみたらひどいことをいったものである。下手な英語だからまともに通じたか、余計ひどい意味になったかわからないが、翌日千委員長に同道した会議の直前フタ事務総長は私に手を震わせながら自分にもプライドがあると怒鳴ったのを憶えている。
こんないろいろなやりとりがあった後結局J.P.JOHNSON 三ツ矢という合弁会社がプログラム関係会社に選定されたという連絡が入った。これに対し、千委員長は委員長への連絡もなく勝手に突然決定するということは委員長を無視する行動であり容認できない、辞意を表明すると抗議された。これには会長以下驚かれ事情説明をしたいということとプログラム内容に関しては日本側と充分連絡しあって進めて行くが、さしあたっての日本側窓口は誰にするかということになり、千委員長は私を指名され、その後の交渉は千委員長の指示のもと私が対応することになった。そして、早速マジィアベ会長が韓国での会議の帰りに日本に寄られ、エイドのマロニー氏と菅生理事がマジィアベ会長を挟み、対面して私と吉川事務総長、井上財務長が着席して最終的な詰めをした。大会はRI に主導権があるが、日本で行う大会であるので日本側の要望はできるだけ考慮する。RI 側で用意するプログラム以外に日本側が加えるものに対しては日本側が経費を負担する。などが合意され会長の決定で相当な理解が得られた。 実際の式次第、エンターテイメントの番組編成に関しては三ツ矢の神島社長、カールさんの全面的な協力を得て当初のRI 案はほとんど変更されたが、彼らの努力と好意的な協力には心から感謝している。RI ディレクターのHolis 嬢はあまりの変更に首になりそうだと私に訴えたが、そうなったら就職の世話はするから心配するなといったものである。三ツ矢に関しては気の毒なことにあまりにこちらに協力しすぎたとのことだそうだが、シカゴの大会にはお呼びもかからなかったそうである。開会式で心残りなのは、国旗の入場にアッシモ君を予約していたのであるが神聖な儀式にふさわしくないとのRI の見解で中止になったことは残念である。歴史、文化と芸術の国だけではなく科学技術の国であることを示したかったのである。また、開会式の開始時間がRI の一存で遅れたこと、閉会式も同様に遅れたことはまことに遺憾であり、実行委員会の責任ではないことをここでいっておきたい。
さて、先述の青少年関係の会議開催の件であるが、フタ事務総長を責めても気の毒であるので、ブリスベンで千大会委員長に委員会を開催して頂き、マジィアベ会長エレクトに出席依頼をしてその場で会長の承諾を得ようと画策した。奥様危篤の報にも拘わらず会長エレクトは出席され、私の言葉に耳を傾けてくれたことを思い出し感謝している。そのときは予め、吉川事務総長、とりわけ井上財務長に最悪の場合は経費は用意するからと述べる旨お願いして合意を頂き、会議に向かった。ロータリーにおける青少年活動の重要性を述べ、どうしてもこのままでは開催不可能であり、開催のためには財政的援助が必要であるというのであれば、相応の支出は覚悟すると述べた。会長エレクトは自分一存ではここでは即答できないが、早急に理事会を開催しこの件を再度諮ると約束して頂いた。その後の理事会で公式行事として実行委員会の経費で開催するとのことになり胸をなでおろしたが、シカゴでは開催されるのであるから、もし、日本でだけ中止ということであったらと考えると寒気がする。このときついでに開会式、閉会式のプログラムは日本側で考えさせて欲しい、今回の大会での日本紹介のリハーサルで今の日本では考えられないような画面と中国風の音楽を使用するような非常識は許されないからであると強調した。音楽に関しては香港の委員が同意して発言したことを付記したい。この件に関しては土壇場まで交渉がつづいた。このような結果で青少年関係の皆さんには喜んで頂き、早速会議開催に向けて活動して頂いたが、ライラだけは開催しないといわれまことに残念な思いをしたのを忘れない。
閉会式翌日の朝食を摂っての大会評価委員会で、すべての大会委員が大会の成功を賞賛した後、マジィアベ会長が最後の締めくくりとして、開会式後の本会議から日本人の参加者が急激に減るという現象は自国においても直らないということは残念であると述べたことを厳粛に受け止めたいと思う。
当初、千委員長のお骨折りで、皇太子殿下のご臨席を賜ることになっていたが、急に海外の公式行事に出席されることになり中止となったが、四方部会長のもと大阪府警をはじめ関係者の皆様には大変ご迷惑をお掛けした。ただ実行委員会丸抱えでの開会式前のエンターテイメントはそのままにせざるを得なかったかが、その豪華さには堪能していただけたと思う。
実にながながと愚痴っぽい話ばかりになったが、RI 事務局の官僚性は今後改められるべきであろう。終わりよければすべて良しということであり、大会最後の晩にフタ事務総長とはすべてを忘れて歓談したし、その後シカゴの規定審議会に出席したときすべてのRI 職員と仲良く思い出を語ったものである。これらの経験は今では懐かしいできごととしてしか浮かび上がってこない。それほどに国際大会を通じて吉川事務総長、井上財務長、小林(哲)補佐、小林(龍)補佐、各部会長・委員長、総務委員、矢橋財務長補佐、前田事務総長補佐、安平事務総長補佐、若林事務総長補佐、小林(龍)事務総長補佐、小林(哲)事務総長補佐をはじめ実行委員会の同士の皆さんから頂いた友情、伊藤、後藤、小林、串間事務局員の凄まじいばかりの頑張り、JTB、ジェイコム、三ツ矢、協愛(株)の協力はそれらのひとつひとつが私の生涯において忘れ得ぬ情景として浮かび上がり、心の支えとさせて頂けるものと感謝している。
そして、最後にこのような素晴らしい機会を与えて頂いた千玄室裏千家大宗匠に心から感謝の念を捧げる次第である。
有難うございました。
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