大阪のロータリー100年のあゆみ
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1月ロータリーの友第60区大会1940年大阪RC解散。大阪金曜会発足1949年大阪RCRI再加盟1952年開催大阪北RC、大阪南RC創設1953年ロータリー少年キャンプ開催(大阪RCホスト)1952年1953年創刊<苦悩の決断:RIからの離脱>日米開戦の気配が濃厚となる中、国家権力の弾圧による解散より自発的にRIを離脱し、ロータリーの名前を失う代わりにロータリー精神、組織を維持するという英断の下、1940年8月12日に大阪RCは解散された。同年11月には大阪金曜会を発足させ、戦時下の厳しい時代ではあったが、会員相互に工夫をし例会は途絶えることなく継続され、ロータリー精神が消えることはなかった。<守り続けたロータリーの心:RIへの復帰>9年間RIから離脱していたが、大阪金曜会として実質的な活動を継続してきたことがRI本部に認められ、1949年4月13日にRIへの再加盟が承認された。大阪RCを含む7クラブが第60区の指定を受け、同年7月1日に発足した。新たな門出に会員のロータリー精神は大いに高揚した。<日本のロータリー再生と結束>1951年、大阪RC生みの親である星野行規氏が第60地区ガバナーに就任し、翌52年4月に大阪中之島公会堂にて第60地区地区大会が開催された。日本の全クラブが参加する地区大会としてはこれが最後となったが、日本のロータリーの再生を祝福すると共に、将来への日本のロータリーの結束を確認し大会は成功裏に閉会した。<ロータリーの全国展開>同年7月には日本全体66クラブを東日本の60区、西日本の61区に2分割し大阪RCは61区に属することとなる。2地区に分割されても情報を共有化し連帯を保つための機関誌として「ロータリーの友」が発行されることになった。新たな社会基盤、体制の整備により全国で新たなクラブが続々と誕生し、クラブの増加に伴い1955年には4地区、1957年には5地区と急速に地区の数も増加することとなる。<大阪地区の新たな歴史:新たなクラブの誕生>1952年には大阪北RC、大阪南RCが誕生し地区は新たな歴史を刻むことになった。これ以後、1954年には池田RC、高槻RC、1957年には大阪西RC、東大阪RC、大阪東RC、1958年には吹田RC、1959年には豊中RC、茨木RCと新たなクラブが誕生した。地区基盤の確立と拡大が急速に進展し、現2660地区地域内のクラブ数は11クラブとなった。<青少年奉仕の先駆け>クラブ活動基盤の確立と共に新たな奉仕活動への取り組みも始まった。1953年には大阪RCがホストとなりニコニコキャンプの前身であるロータリー少年キャンプが開催され、地区に移管されるまで、まだ豊かでなかった社会の青少年育成に大きな役割を果たした。

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