1922年大阪RC誕生1923年関東大震災支援1926年第一回日本RC連合懇親会を大阪で開催1928年2660地区の原型70区の誕生1934年会員子弟のためのキャンプ(ニコニコキャンプの原型)実施1936年日本初のニコニコ箱設置1935年ポールハリス夫妻、RI会長ヒル夫妻来阪<大阪RC誕生>1922年、日本で2番目となる大阪RCが誕生した。現在の2660地区最初のRCである。1920年日本で最初の東京RCが誕生して2年後の事である。創立のきっかけは、東京RCの創立に深く関わり初代幹事を務めた福島喜三次氏が大阪に転勤になったことである。福島氏は加島銀行の星野行則氏と出会い、ロータリーの理念に打たれた星野氏は大阪RCの創設に奔走し、1922年11月17日大阪実業界トップ25名のチャーターメンバーで設立総会が開催された。福島氏もその中の一人である。<関東大震災復旧復興支援>創立間もない大阪RCの重要な役割は翌1923年に突然訪れた。関東大震災の支援活動である。機能不全に陥った東京RCに代わり、世界中のRCからの支援の申し込みを仲介した。創立間もない大阪RCのメンバーにとっては、超我の奉仕の精神に基づいた人道的奉仕活動、そして国際ロータリー(RI)とは何たるかを知る貴重な機会となった。<ロータリーの広がりと暗雲>1924年に神戸RC、名古屋RC、1925年に京都RCが誕生し、1926年5月東京RC、大阪RCを含めた5クラブによる第一回全日本RC連合懇親会が大阪で開催された。日本のRCという連帯感が生まれる初めての機会となった。その後1928年に日本、満州、朝鮮、樺太、千島による70区が誕生し地区の原型が出来たが、日本の軍国主義台頭による海外領土をベースとしたものであり、必ずしも国際的に祝福されたものではなかった。<暗雲の中でのロータリー活動の推進とポールハリス夫妻来訪>世の中には暗雲が漂い戦時色が強まり始める中、国家、政治とは一線を画しロータリーの志を貫こうとする活動が続いた。1934年には後のニコニコキャンプの原型となる会員子弟のためのキャンプが実施され、1936年には例会で日本初のニコニコ箱が設置された。当初の例会への遅刻やバッジの付け忘れなどで使われていた罰金箱を発展させたもので、その後全国のクラブで実施されるようになった。そんな中、1935年2月にはポールハリス夫妻、ロバートヒルRI会長夫妻がマニラで開催された第5回大平洋地域大会出席の途中に日本を訪問した。天候不良で船の到着が大幅に遅れ、大阪滞在はわずか1日という強行日程であったが、温かいもてなしと対話を通して、暗い世の中に負けずロータリー精神を貫こうとする日本のロータリアンの心がポールハリス氏に伝わったことは想像に難くない。
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